世界に語らせる“合い言葉”
世界に語らせる“合い言葉”
言い換えとは何か
相手の言葉を理解をする時に自分の言葉で言い換えてはいけない
その言葉で世界が見えた時、
初めて人は自分の言葉で自在に語ることを世界から許される
理解はしかし、相手の言葉を読み込んで、自分の世界の読み方につなげなくてはいけない
その意味で言い換えは媒介だが、これは大げさに発表する言い換えではない
「その言い換えがあまり意味がない」は 言い換えを知っている
大切なものに、世界に語らせる
「わからくなはないが、世界がこの方が適切だと言っている」というのが言い換え
意味を尋ねられた時に、質問者の言葉に言い換えることができるということが、世界の読み方の厚みをわかっていることであって、それなしには世界を読み込むことにならない
相手は話者や著者に限定されない。それどころか、人にすら限定されない。出来事や事態にもいえる。場所や物についてさえいえる。
世界のものは、等しく重要なものを語りかけてくる
これは重要さが等しいと言っているのではない
そこに世界が見える限り、入り口などさしたる違いはない
世界は唯一の住処なのだから
合い言葉とは何か
合い言葉とは著者、話者を通して世界が語る重要なもの
合い言葉によって著者、話者は繰り返し目覚め、体系は開かれる
個人名、名前という形式は、合い言葉を外側から見た時の通称
合い言葉が伝われば、
論争を含んだものとして名前と共にその重要さが偉大さとして世界に残る
当人ですら一生掘り続けた穴だから、陳腐化などしない
重要なものには、届ききることがない
届ききったと言ったら、世界や神でもなったつもりか
でも背伸びしても足元をすくわれうる
地盤固めや日常的な言葉が、真の教養ではないか
背伸びする人は美でない。背伸びしている人が届きたい先にあるものが美
つまらない、わからないことを「わからないよ当然じゃん」というのが世渡り
だから、美しさを表現するようになったら、おしまい
世界に語らせると、自分の達成(=美に近づいた)度合いだけ美しい
世界に語らせれば足元はすくわれない
世界に語らせるということは、重要なものについて世界にまで掘り進まなくてはいけない
本当は世界に呼ばれるのだが
しかし、届ききることはない
だから、世界に語らせるつもりが精いっぱい
間違っても表現などではない
表現は自分の責任において自分の言葉の力を主張するもの
芸術は爆発で、現在の自己を殺すこと
世界に語らせる一つのやり方
世界とは何か
人にとって世界とは重要さの体系、語りかけてくる者たちの繋がる場所
狭い社会では狭い者どもとしか繋がれない
重要さは、必要不可欠なものではなくて、可能性と意味の集積物
それを示す目印が、合い言葉
本で言えば書名といえることもあるし、正しくは直観の下に集まった本文全体
本文は世界の読み方
世界の読み方でしか、異質なものたちとは触れ合えない
狭い社会の人たちも、世界に開かれた認識とそれを支える直観がなくては、必要な時に矮小化された何かしか生み出せないし、異質なものたちを動かすこともできない
世界こそがあらゆるものの住処
つまり世界を動かせない