尾崎豊 論

尾崎豊論

「自由になりたくないかい?」
「熱くなりたくはないかい?」
「君は思うように生きているかい?」①
「手を伸ばせば自由はあと少しさ」②

尾崎豊は叫んだ。こんな必要ないことに縛られないで済む。好きなようにやりたいことをやれる。そうしたら、あれもできる。これもできる。

けれども、そんな人が自立したらどうなるか。世知辛さと食い扶持、夢だ愛だ言っていられない

「両手に抱えた暮らしの中で
お前の汗は愛に費やされ
温かい暮らしに小さな祝福を挙げた
愛する者たちは俺だけを頼りに寄り添い暮らし
幸せがどれほど大切か感じている」③

夫としての幸せ、父としての幸せがあるのなら、どうして子としての幸せがなかった。

「家飛び出してきたのは
それより上目指してたから
やがて俺も家族を持ち
同じように築き上げるだろう」

それより上を目指すには、それを知らなくてはいけない。

「仕事を終えて帰ると
俺の為にストーブを灯して
親父はもう十九の俺の頭撫でながら
話す昔話の意味がその日俺にもやっとわかった
飛び立つ日から思い出は夢の中で語るだけさ

排気ガスにすすけた窓
俺は一人夢見てる
坂の下のあの街の中で必死に探し続けてたもの
あの日の親父と同じ様にね」④

達したと思っていたものは無理解だった

「賑やかな街
隠しきれない寂しさがほら見つめている
小さくかがめて守らなければ自分の存在すら見失うよ
誰もかれもの存在ならばいつも認めざるを得ないもの
それでも僕の愛の言葉は何の意味さえ持たなくなる

満ち足りてゆくことない人の心慰められるような夢求めていても目の当たりにするだろう
生存競争の中、夢はすり替えられてしまう

受け止めよう眩暈すらする街の影の中
さあもう一度愛や真心で立ち向かってゆかなければ」⑤

どうやって立ち向かうんだ。素朴な疑問はもはや父や街の中に回収されてしまう

そう、受け止める
答えはそれでしかない

自由

動かした感触のある範囲が私の感覚であり、それが自由ではないのか
そして愛や夢や正しさは、人に認められなければダメな自己中で終わる

組織に入っても、自営でもそれは同じ
しっかり受け止めているから動かせるし、認められる

どこで、受け止め、訓練できるか
人を動かし、人に認められる自己中というのは、ルフィー
彼のように厳しい訓練を自分で出来て、しかも恵まれた環境があるのか

与えられた環境で最上級の訓練をする
これが自由の条件

じゃあ、いつ人やものを動かせるのか
認められることにもつながるけれど、必要とされたとき


どうやって人や物を動かせるのか

原体験なんてものを信用しちゃいけない
出来なかったら体験まで否定しなきゃいけなくなる
もしそれで否定できないなら体験は関係がない

合い言葉によって人やものとつながっている
合い言葉もっているとき、世界を動かせる

合い言葉は念仏ではない
念仏では人に伝わらない
合い言葉は簡単な使われる簡単な言葉
しかも、自在につかえなくてはいけない

合い言葉の真の意味はどこで知ることが出来るのか
読書や学校である
そのための時間と環境が与えられているのが学生

合い言葉が気が抜けたものになるのはこじつけだから
人に伝わらないような教科書的な言葉は教科書をわかっていない
教科書は合い言葉の意味を教えない

学校や読書でこそそれに触れることが出来る
こじつけじゃない課題が発見できるのは、学歴は関係ないがしっかり勉強した人だけだ
その意味で、実は師匠を持てば、そこは学校

尾崎はあそこまでいったのに……
だからこそ、彼から学ばなければならない
学ぶことを学ばなければならない

彼は問うたが、答えられなかった。
問うたことは衝撃を与えたが、彼自身それに答えることが出来なかった。
だから、彼はアルバムの一枚目の問いと二枚目の展開までは最高で、それ以降は回顧的、一般的なものに留まった。
一方で日常に埋没して一般論に堕し、他方で自分の世界に逃げ込んだ

それが尾崎の不幸


さて、私たちは、どれだけの合い言葉をもっているのだろうか


Scrambling Rock'n Roll①
ハイスクールロックンロール②
Scrap Alley③
坂の下に見えたあの街に④
存在 ⑤